|
カテゴリ
以前の記事
2011年 11月
2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 お気に入りブログ
外部リンク
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
おすすめキーワード(PR)
ブログパーツ
ファン
|
先日、歌舞伎座さよなら公演の関連で人間国宝の歌舞伎役者、中村芝翫(しかん)のインタビューや舞台のVTRをたまたま見ました。歌舞伎は元々あまり興味が無かったのですが、中村芝翫の柔和でありながら、何とも言えない立派な顔立ちに目が釘付けになってしまい、番組最後まで見てしまいました。
歌舞伎のことは本当に何にも知らず、役者もまあ中村といえば勘三郎とか、市川といえば團十郎か猿之助、というくらいで、興味がないものだから知識も無いわけです。 ところが、どういうわけか頭の中のどこかの配線が切れたのか、隠れていたスイッチがONになったのか分かりませんが、歌舞伎が『面白い』と思えたのです。 中村芝翫は「実録先代萩」の女形を見事に演じていました。翌日も同じ時間に、たしか市川團十郎の歌舞伎十八番「暫」だったと思いますが、見てしまい、その翌日もまた・・・。 僕は算命学によれば、古いものを求める星のもとに生まれたそうなんですが、だとすれば、そろそろ歌舞伎に興味を持っても不思議はないかもしれません。お能や狂言は好きで機会があれば見てはいましたが、歌舞伎には一度も足を運んだことがありません。今回建て替えが決まった歌舞伎座は、空襲で焼けたものを昭和26年に再建したもので、4代目にあたるそうです。新たな5代目歌舞伎座は平成25年春に完成予定だそうですが、こけら落としには出かけてみたいものです。 中村芝翫さんは現在82歳で、今の歌舞伎座の前の代から歌舞伎の道に入り、謂わば歌舞伎座の中で育ったような方です。畳敷きの楽屋もまるで我が家の一室のような住み慣れた空気が漂い、あとわずかでここも無くなるということがどれだけ寂しいかが、決して微笑を絶やさない表情からも伝わってきました。新しい歌舞伎座でもまた素晴らしい女形を見せてもらいたいものです。 ![]() ![]() 武道館のジェームス・テイラーキャロル・キングのコンサートに行ってきました。 ジェームス・テイラーは、Sweet Baby Jamesの長髪にダンガリーシャツのジャケットから40年過ぎた今、髪は無くなり皺も増えましたが、優しくフラットな声も長身の体型すらも変わっていませんでした。それはキャロル・キングも同じです。曲目が進むほどに、あの微妙にしゃがれたキャロル節が冴え、昔と少しも変わりません。 ミュージシャンとして、昔のヒット曲ばかりをぶら下げて興行するのは忸怩たる思いもあるのかな、なんておせっかいな想像も一瞬にして吹っ飛ぶほど、そこには「今」の生きた二人がいました。こんなにライブの素晴らしさを味わったのは久しぶりでした。歌っているのは確かにほとんどが昔のヒット曲なんですが、聴いている僕らを昔に連れもどすのではなく、そこには「今」のYou've Got A FriendやFire And Rainが流れていました。僕なんかバラードのときは目がうるうるしっぱなしでした。彼等は今もまさに「旬」ということでしょう。長い旬です。 バックを務める、ダニー・コーチマー(g) ラス・カンケル(ds) リー・スカラー(b)もいぶし銀の魅力で、特にダニー・コーチマーのあの独特の演奏スタイルは遠目にもすぐ彼と分かるものです。ジェームス・テイラーは今はジェームス・オルソンのギターを使っていますね。昔はギブソンでしたが。一緒に行ったT田氏によると全部で4本のオルソンを使い分けていたそうです。彼のフィンガーピッキングは実に美しいですね。爪を使わない指頭だけによるソフトなタッチが実に深い音を紡ぎだします。 キャロル・キングも一曲ギターを弾きながら歌いましたが、あの小柄な体に不釣合いなマーチンのドレッドノートが一際大きく見えました。そして旺盛なサービス精神で、努めて日本語で曲紹介をしていたのも、会場を和やかにして良かったです。 今日の横浜公演のあとも、アメリカ本土での公演が驚くほどタイトなスケジュールで続くようです。頑張りますね。昨夜は僕もとても元気をもらいました。そして幸せでした!!
今年はカレンダー上、正月休みは三賀日の3日間だけ。何だか短いような気もするけど僕なんかお勤めしているわけじゃないのであまり関係ない。
暮れは何だかんだ言ってもやっぱり忙しくて、あれも買っておかなきゃとか、ここも片付けなきゃとか、別に普段どおりでもかまわないのに、なぜか特別な様にあくせく動いてしまう。でも暮れから正月にかけての日々は、どこか「おこもり」するような感覚があって、冷蔵庫がいっぱいだと安心だったりする。 毎年、おせち料理は買った方が美味しかったり、作るのが面倒な物だけは出来合いのものを買い、煮物や酢蓮、数の子などはうちで作るというのがパターンだ。今回は千葉の知り合いから銚子の鮮魚やら正月野菜が届き、とても助かった。銚子漁港からは金目鯛とホウボウが送られてきたんだけど、ホウボウは半身はカルパッチョで、あとの半身は刺身で、中骨やアラでスープを取ってうどんの出しにしたりと残さず頂いた。金目も身は刺身にしてアラは煮付けにしてこちらも残さず頂いた。Mちゃん有難う、すごく美味しかったです!! 元旦の夜は近所に住む僕の妹を招いて食事会。我が家は純和風のおせちなんだけど、妹がまったく趣向の違う手作りおせちを持ってきてくれたので、飽きることなく楽しめた。 ![]() ![]() ![]() ![]() 妹が犬用の伊達巻を作ってきてくれた。もちろんペロンと食べたよ。 ![]() 妹が買ってきてくれたお酒。何と何と「カメカメハ」だ!! 滋賀の銘酒「亀の尾」で知られる上原酒造のものだから真面目なんだろうけど・・・味はとても美味しかったです。 ![]() 2日は昼から近所の氏神様に初詣。去年は元旦に行ったので長い行列が出来ていたけど今年はすぐに参拝できた。運動不足なので帰りは遠回りして帰ってきた。それにしても毎日高カロリーのご馳走とお酒ばかり飲んでいたので、確実に太ってしまったようだ。この日の夜は今度は奥様の弟の家族や親戚と新宿のホテルで会食だった。「ニューヨークグリル」というだけあってメニューはアメリカンな肉中心。この歳になるとぎゅうにくはどうも持て余す。200グラムのステーキ、情けないことに半分しか食べられなかった。すっかりご馳走になったくせに、来年は和食にしてくれと我儘を言ってしまった。 ![]() ![]() ![]() 最上階だから夜景が素晴らしい。 ![]() ![]() ![]() とにかく初波乗りに向けて、早くこの正月太りを解消しないといけない。ウェット着れるかな・・・
久しぶりに本州に上陸していった台風18号は多くの傷跡を残していった。我が家はまぁあまり大したことはなく、植木鉢が二個割れたぐらいで、落ち葉の片付けも朝飯前に済んでしまった。
一昨日は鵠沼中学の先生がサーフィン中に亡くなり、昨日は逗子から材木座まで流されたサーファーが救助された。そうしたサーファーを無謀だとかバカだと言って片付けるのは簡単だけど、僕はいつも何か違和感を感じている。大きい波に向かっていくのは馬鹿なことなのか。もちろん誰が見ても、こんな荒れた海に入っても辛いだけでちっとも楽しくないだろう、というようなコンディションで入水するのもどうかとは思うが。 日本の場合、大きい波といってもたかが知れている。ハワイのワイメアやマウイのジョーズのような大波は、ほとんど立たない。でもアチラの強者はそんな波に勇敢に立ち向かう。メイクできればヒーローだし自分の歴史にも金字塔が立つ。もちろんジョーズなどは認められた者しか入れないし、優れた協力者がいなければメイクすることは不可能だけどね。 結局、波に対する考え方、捉え方はひとそれぞれで、一般的には「荒れている海」でもある人にとってはアドレナリンが止まらない波だったり、腰サイズ以上になると逆に楽しくないという人もいる。要は大波に挑戦するのは勝手だけど、それだけの技術、体力、経験があるのかということで、あとは自己責任でやってもらえばいいのだと思う。自然相手のスポーツなんだから事故は付きもので、波が小さくても死ぬ時は死ぬのだ。ただサーフィンはボードさえあれば誰でも見よう見真似ですぐ始められるというところが問題だ。だからちゃんと教えてもらったことが無いサーファーがほとんどだということだ。潮の読み方、カレントの読み方などしっかりと上級者に教えられていれば、どこまでが挑戦でどこからが無謀なのかの境目が見えるはずだ。 いつも思うんだけど、海で命を落とすサーファーの何倍もの登山者が毎年山で亡くなっている。救助隊も命がけだし逆に命を落とすこともある。それでも「山は危険なので絶対に近づかないで下さい」なんて話は聞かない。自己責任の歴史の違いなんだろうか。わが国にもエディ・アイカウやデューク・カハナモクのようなヒーローがいればサーフィンに対する社会の認識も違っていたのかも知れない。これからでしょう。 いっちゃんのスタボから拝借 ![]()
昨日は午前中家事をしながら「行くなら今日しかないな」ということで、昼から七里ガ浜に行ってきた。サイズはまだ胸肩くらいだったけど結構かたちも良く早速入水した。すごく混んでいたけど、いつものように一番アウトに陣取りセットを待つことにした。大型とはいえまだ遠い台風なので、セットの間隔が長く、特に最大サイズを狙っているとなかなか乗ることが出来ない。でもインサイドにごっちゃりといるショート君たちの間で待つわけにはいかないしね。
それでも待てば来るもので、頭オーバーのセットを何本か捕まえることが出来た。 ところで波待ちしていると周りの会話が耳に入る。 「中耳炎になっちゃったよ、サーファーズイヤーもあるしさ」とか 「仕事は?」「今日明日有給取っちゃったよ」とか なかでも 「サーフィンしてて後ろめたさを感じなくなったらお終いだよ!」 という常連の言葉には考えさせられた。 確かにこうして平日に波乗りに興じている人の多くが、どこかで或いは大いに後ろめたさを感じているんだろう。僕だってそういわれればそうだ。サーフィンが仕事の人を除けば、ゴルフやマージャンに興じるのと変わらない単なる「遊び」だからね。そんな連中を見ていると、皆人生のなかのいろんな物を諦めてというか犠牲にして、こうして海に入る時間を作っているのが見て取れる。もちろんそんな人ばかりではないのは分かる。しっかりと仕事もこなし上手く時間を捻出して来ている人、仕事は部下に任せても儲かってる会社の社長とか、リタイヤした年金サーファーとかね。でも多くのサーファーは学校や会社、家庭に後ろめたさを感じながら海に来ているんだ。台風が来て喜ぶのもサーファーだけで、それだけでも社会からヒンシュクを買う。バカなサーファーが流されたといっては無謀だとか「台風で波が高いのでサーファーは海に近づかないで下さい」などと眉間に皺を寄せてしゃべるテレビのアナウンサー。挙げればきりがないが、平日の波の良い日に、国道134号を仕事で車を走らせている人の目に、大勢のサーファーの姿がどう映るかは想像に難くないだろう。 だけどもだ。やっぱり後ろめたさなんて感じたくはない。ハワイでサーフィンしている時のように心から楽しみたい。海から上がった時に感じるあの何にでも寛容になれるようなAlohaな気分。 「サーフィンしてて後ろめたさを感じなくなったらお終いだよ!」じゃなくて、後ろめたさを感じなくなってからが「始まり」なんだと信じたい。 ともあれイヌのシアワセ ![]() ![]() 昨日の日曜日はまたまた日本橋三越へ日本伝統工芸展を見に行った。前回は京都の猪飼祐一氏の作陶展だった。今回は藝大の先輩で陶芸の前田正博氏が総裁賞を受賞し、同級生で漆芸の林 暁君が文部科学大臣賞を受賞した。林 暁君は先々週の日曜日術館でも制作風景が紹介されたが、原型作りにコンピューターを活用するという異色な作家だ。三次元的CGでかたちを作り、高価なNCルーターで原型を削りだすのだ。でもコンピューターを使うのはそこまでで、あとは最後まで手作業だ。漆というのは空気中の水分によって硬化し、また工程の半分以上が「砥ぎ」なのでおそろしく時間がかかる。テレビで彼が漆刷毛を持って丹念に漆を塗っている姿を見て何故か安心した。やっぱり工芸家だったんだなと。本当は作品の内側を見てみたかった。ところで日本伝統工芸展て展示の仕方やライティングなど、どうしてあんなに「ずぼら」なんだろう。入場料も取らずに広いフロアを提供してもらっているのだから仕方がないのかも知れないけど、パート・ド・ヴェールの石田知史氏の作品など全光の光ではまったく美しさが出てなかった。すべての作品を公平に展示ということか。 そのあと、日本橋高島屋でやはり同級で陶芸の樽沢泰文君の個展を見た。彼と会うのは卒業以来だ。浪人中からの友人で、一緒に彼の安アパートでよく飲み、歌い、そして一緒に「落ち」、翌年一緒に「合格」した。優しくてシャイな性格が作品にも滲み出て、心象風景的な作風が、ともすれば画一的な伝統工芸展の作品群とは対照的に楽しめた。今度は是非横浜に来てくださいね。 ![]() ![]() 連休最終日の昨日、いつものメンバーで鹿島、平井海岸にショートトリップ。毎日片付けや重い物の移動でくさりそうなところへお誘いがかかった。ラッキー!! 天気も予報に反して快晴で、いわし雲たなびく秋らしい一日だった。サイズは肩頭くらい。前回の台風のうねりがまだ残っているようだ。僕の入ったセンターのアウトからは時々頭半くらいのオバケセットが入り、凄いパワーで岸まで運んでくれる。特にグーフィーが形の良い波だった。僕も何本かそんな波をキャッチできたが、ロングだと戻るのが大変で、岸を歩いて右端の堤防沿いにカレントに乗ってアウトに出るしかない。二時間ちょっとでもう充分疲れてしまった。 今年もあと何回鹿島に来れるだろう。そろそろ北東風が吹きコンディションが悪くなる季節だ。 ![]()
やっとゴルフワゴンが届き、自力で海に行けるようになったので、タイフーンスウェルの七里ガ浜に入水した。
台風の位置が悪く、東よりのうねりのためか思ったほどサイズが上がってない。腹胸肩といったところ。前日の予想ではクローズかもということで、もしそうなら大崎周辺を狙うつもりでいたので少しがっかりした。 でも自身のアトリエの引越しで忙しいというのに、波乗りできただけでも良しとしなければ。 夜はジャズピアニスト上田道世さんの関内のスタジオへ。実はスタジオの一角をワインバーにするというので偵察がてら呑みに行ったのだった。彼女のスタジオはバーやクラブの集合体のようなビルの六階にある。自身の練習場であり貸しスタジオでもあり、今度はプチ会員制のワインバーにもなったのだ。まずはハウスワインのアルゼンチンのカベルネソーヴィニヨン、次にカリフォルニアのジンファンデル、そしてフランスのカベルネソーヴィニヨンと、すべて美味しく、酔うほどに話は弾み、羽目を外し、恥もさらし、しかし音楽と酒と食という共通項があればかくも楽しい時を共有できるものかと、あらためて思ってみたりしたものの、引越しと波乗りで腰が痛いです・・・ いっちゃんのスタボから拝借 ![]() ![]() ![]() ![]()
おとといテレビを見てたら、ビートルズの全アルバムがデジタルリマスターされ、非常に高音質、高解像度になって発売されるというので、深夜の銀座山野楽器の前に大勢のファンが結集していた。
僕の中学時代はシルビー・バルタンとビートルズだけだった。高校時代はビートルズのホワイトアルバムに学生運動が重なり合って、あらゆる既成概念や体制に反発したりもした。青春はストーンズでもボブ・ディランでもツェッペリンでもなくビートルズだった。 今でもかと言われれば、そうかもしれない。 でもビートルズをそこまで高音質で聴きたいかというと微妙だ。何せ当時はステレオなんか家に無く、友達の家でオープンリールのテープレコーダーに録音させてもらい、それが擦り切れるほど聴いていた。今ではそこそこマニアックなオーディオシステムを持ってはいるが、それでビートルズを聴いた記憶は無い。いい音楽は何で聴いてもいい音楽であることに変わりは無い。ポケットラヂオのスイッチを入れた瞬間、AM局から『CAN'T BUY ME LOVE』なんかが流れてくるというシーンが、僕にとってのビートルズかなと思う。 とはいえ、この際一枚くらい買ってもいいと思っている。聴きもしないでナニが分かると言われそうだし。で、どれを選ぶか。やっぱり僕もwest2723さんと同じく、『ABBEY ROAD』を選ぶと思う。完成度、充実度という点でも、B面の最初から最後までそっくり歌えるほど大好きだからという点でもね。 ![]()
前日の風波の残りを期待して、早起きして平砂浦に行ってきた。波は意外なほどサイズダウンしていて、着いた早々我々は 「今日は海の日だから海に来ることに意義がある」 と、気持ちの切り替えを余儀なくされた。
それにしても巴海岸のとなり相浜は、これぞ正しい海水浴場というロケーションだ。小じんまりとした磯の海岸に、昔ながらの海の家が一軒。海水浴客の数もそこそこで、でもちゃんとライブガードが見張っていてくれる。 そんな景色をビールを飲みながら眺めていたら、好きな写真家ジョール・マイヤーヴィッツの写真集「A SUMMER’S DAY」を思い出した。よく似た風景なんだ。彼の8X10で撮った独特の色合いと、ちょっとハイキーな露出を真似てリコーR8で撮ってみた。 ![]() ![]() < 前のページ次のページ >
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||